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6.各種鑑評会での入賞

浦霞の歴史

各種鑑評会での入賞

Vol.17

浦霞禅は精米歩合50%で発売した。当時、大手の蔵では既に精米歩合40%の酒を出していたのかもしれないが、浦霞のような小さな蔵にとって、米を50%まで磨くのが精一杯の時代だった。精米歩合50%の酒は当時としては最高の酒であり、鑑評会へも精米歩合50%で出品していた。

「精米は今はコンピューター制御でやってるんだけど、昔は糠の量で計算してたんだよ。100キロの米を精米して10キロの糠が取れると精米歩合90%という具合にね。そういう計算になっていくんだよ。だから多少誤差はあるんだけれども、50キロの糠が取れれば半分減ったっていうようなことで精米歩合50%になるんだよね。50%まで磨くのには、そうだなあぁー、70時間くらいはかかったんでないかなぁ?24時間が一昼夜だから......、3日くらいかな。(笑)
精米機の調整が下手だとザーザー、ザーザーと米が流れてるだけで、本当に精米されているのかどうかわからない感じだったんだよね。だからやっぱり腕なのさ、そのころの精米っていうのは。今はコンピューターで目標の精米歩合を指示するだけでいいからね。」と当時の精米について重一は笑って話してくれた。
重一が浦霞に来た当時は「広島八反」や「雄町」「山田錦」等の酒造好適米が数多く入ってきていたが、大手の蔵が特級酒や一級酒に「山田錦」等を使用するようになると、地方には「山田錦」が入ってこなくなった。

当時のことを重一は次のように話してくれた。
「当時は上級酒を造ろうにも『山田錦』が入ってこなかったんだよね。それで『山田錦』に替わる米をってことで『トヨニシキ』使ったんだよ。『トヨニシキ』は宮城県産で、量的にも十分用意できるってことでね。いつ頃から使い始めたんだっけかな。昭和44年頃から使い始めたような気がするね。当時は『トヨニシキ』で吟醸酒も仕込んだんだよ。
『トヨニシキ』で鑑評会にも出品するようになるんだけれども、出品できるようになるまでは試行錯誤の連 続だったんだよ。最初は一般酒を仕込んで、それで何年も酒の味と米の性質をみていってね。それに『山田錦』等の酒造好適米も入ってこないから、それじゃ吟醸酒も『トヨニシキ』を使おうということになって、吟醸酒を造るまでにはそうだなぁ、6~7年はかかったんじゃないかな?それで、吟醸酒が間違いない酒質だってことになって、鑑評会にも『トヨニシキ』で出そうということになったんだよね。」

「トヨニシキ」で造った酒が全国の鑑評会で金賞を受賞した。
東北でも「トヨニシキ」を使い始めたのは浦霞が早かった。浦霞が「トヨニシキ」で全国の鑑評会で金賞を受賞したことによって、他の蔵元からも注目を集め、県内はもちろんのこと岩手県でも盛んに「トヨニシキ」を使うようになる。

余談ではあるが、「トヨニシキ」を使用した酒が金賞を受賞したことにより、浦霞では当時「山田錦」を殆ど必要とせず、購入の努力もしなくなった。宮城県の他の蔵元も同様だったようだ。それが祟ったのか、「山田錦」を欲しいといっても宮城県ではしばらく買うことが出来なかった。その後、割り当てとなって「山田錦」が浦霞に入ってきてもせいぜい30俵程度が良いところ。多くても50俵程度。米50俵ではタンク1本分しか仕込めない。そこでひと肌脱いだのが当時の社長佐浦茂雄。茂雄は山田錦栽培地の兵庫まで出向き、宮城県でも山田錦が手に入るように農協にお願いした。そしてようやく宮城県でも山田錦が手に入るようになった。昭和50年頃のことだった。

浦霞では「トヨニシキ」だけではなく「ササニシキ」でも酒を造っている。「ササニシキ」は昭和38年に宮城県立農事試験場古川分場(現 宮城県古川農業試験場)で誕生した。浦霞では「ササニシキ」を誕生と同時に使い始めた。「ササニシキ」「トヨニシキ」で酒を造ることについて重一は次のように話してくれた。
「『ササニシキ』は食べてとても美味しいお米なんだけど、軟質米で我々がお酒造りに使うにはちょっと難しかったんだよね。ただ、『ササニシキ』が出てきた頃、宮城の『ササニシキ』は日本一というようなことを農協なんかが盛んに宣伝したもんだから、香りもいいし、これは酒造りに利用しない手はないんじゃないかってわけで使い始めたんだよね。そして、オール『ササニシキ』の酒を昭和46年に発売したんだよ。それが『生一本 浦霞』。『ササニシキ』で造ったお酒は米の特徴がお酒の中に出てきて、ふくらみのあるお酒になるんだよね。『トヨニシキ』はすっきり型。どちらも上品で、それぞれの米の特徴の違いのあるお酒が楽しめるんだよ。

『トヨニシキ』は硬質米の部類かな?。『ササニシキ』は軟質米だね。米が柔らかいと精白が上がるほど手間暇がかかるんだよね。吸水速度が変わってくるから。例えば『トヨニシキ』の精米歩合50%と『ササニシキ』の精米歩合50%の場合、吸水性は『ササニシキ』のほうが早いんだよ。タイプが違うとそれに合わせて酒造りも変わってくるんだよね。

お米を酒造りに使うコツは長い間の繰り返し繰り返しの試みなんだよね。米によって酒質はだいぶ変わってくるからね。
酒質の安定性を考えると酒造好適米にこだわらず技術を確立していくことも大切なことなんだよね。
苦労も多いけど、その反面何て言うか、この道に携わっていると、成し遂げた時の感じちゅうのが自信がついたっていうか、楽しみでもあるんだよね。
新しいものが出来て市場へ出して、これが評判がよくて返り注文がくるようになったら、これはしめたもんなんだよね。
地酒の良さっていうのは地域のお米であり、その地域で造るということがあるし、地元の米をうまく利用していくことはね、地場産業にもつながることだから。」

その後、宮城県酒造組合では昭和61年に宮城の地米100%の純米酒造りをしようと「みやぎ・純米酒の県」宣言を行い、精米歩合60%以下でササニシキを使用した純米酒を宮城県の全蔵元で造る取り組みを始めた。

さらに、平成11年より宮城県酒造組合主催にて、県産酒の技術レベルの向上を目的に「宮城県清酒鑑評会」を開催する。この鑑評会は宮城県産米を100%使用した純米酒、純米吟醸酒の市販酒の原酒を対象としている。
平成19年からは技術者や専門家による従来の審査に加え、消費者代表が審査する「サポーターズ・セレクション」を新設した。「サポーターズ・セレクション」は平成19年に発足した日本酒愛好家の集い「日本酒サポーターズ倶楽部・みやぎ」の会員の中で、宮城県きき酒選手権大会に参加した成績優秀者10数人が審査員として参加している。サポーターズセレクションに選ばれるということは、消費者に美味しい日本酒と認められること。そのサポーターズ・セレクション第一回開催時「生一本 浦霞」が上位に与えられる金賞を受賞した。

ササニシキで仕込んだ「生一本浦霞」は宮城県清酒鑑評会 県産純米酒の部で、 

平成11年  第 1回開催  宮城県知事賞(首席)
平成12年  第 2回開催  宮城県知事賞(首席)
平成14年  第 4回開催  宮城県知事賞(首席)
平成19年  第 9回開催  サポーターズセレクション・金賞
平成21年  第11回開催  宮城県産業技術総合センター所長賞

を受賞している。

浦霞の鑑評会での受賞の歴史は大正時代まで遡る。
明治40年から開催された、全国規模では初めての鑑評会である全国清酒品評会では、大正13年(第9回開催)に1等賞入賞を果たした。これが浦霞の鑑評会受賞の第1歩だった。

「全国新酒鑑評会」では昭和31年から平成26年まで本社蔵は34回、矢本蔵は12回金賞を受賞している。本社蔵の受賞数は全国でもトップクラスを誇っている。

日本全国で酒を醸す南部杜氏達が技を競いあう「南部杜氏自醸清酒鑑評会」では、平成26年まで、優等賞を本社蔵は61回(現在の酒蔵ではトップクラス)、矢本蔵は18回受賞している。

各種鑑評会で入賞を果たしている中でも、特筆すべきは、東京農業大学が昭和36年から昭和51年まで主催していた全国酒類調味食品品評会にてダイヤモンド賞を2回獲得したこと。この品評会では金賞に3、銀賞に2、進歩賞に1の持ち点が与えられ、トータルで15点以上になると「ダイヤモンド」になる。わずか15回の品評会で2回ダイヤモンド賞を獲得したのは「浦霞」と「吉乃川」(新潟県:吉乃川株式会社)だけだった。

page17_3.jpg 旧店舗にて 茂雄と重一
重一と浦霞の飾り樽の間にある盾がダイヤモンド賞の盾
その上に飾ってある盾が全国酒類調味食品品評会での受賞の盾

各種鑑評会で上位入賞を重ねるにつれ、佐五郎、重一の力量が業界関係者や専門家らに広く知られるようになっていった。昭和50年頃よりいわゆる地酒ブームが到達すると、雑誌等で取り上げられることも多くなり、次第に浦霞は全国的に知られることとなる。その結果、慢性的な品不足に陥ることとなり、冬期間だけでの製造ではお客様からの要望に応えることが難しくなってきた。茂雄と重一は、浦霞の品質を維持しつつ、お客様からの要望に応えるべく、昭和50年代後半より夏場を除く三季醸造に取り組み始めた。平成に入ると、品不足はさらに深刻となり、品質を落とすことなく、より多くのお客様に浦霞を楽しんでいただくため、新蔵(矢本蔵)の建設を計画していく。

各種鑑評会の成績についてはこちらをご覧ください。   鑑評会成績.pdf