浦霞顧問(名誉杜氏) 平野重一(ひらのじゅういち)

叔父平野佐五郎の杜氏の片腕として昭和24年浦霞にこうじ師として入蔵。昭和30年より頭となる。

昭和33年、茨城の大観酒造に杜氏として出向。昭和34年の春の新酒鑑評会で金賞を獲得。大観銘柄の市販酒の品質も向上させた。昭和35年以降も常に新酒鑑評会では金賞入賞している。
    
   ○昭和42年  ダイヤモンド賞 
   ○平成 元年  労働大臣表彰(現代の名工として)
   ○平成 5年  叙勲(勲六等瑞宝章)
   ○平成18年 
 塩釜商工会議所マイスター顕彰
   
○平成19年  塩竈市市政功労者賞

Q:酒造りをするきっかけを教えてください。






A:私の生まれたところは本当に片田舎といった感じの所でした。村全体の田んぼも少ないほうでした。私等が小学校へ通う頃は雪の量も多く、農閑期は酒づくりに出かける人が多かったようです。

私の叔父は杜氏、祖父も酒づくりをやった人です。別家のおじいさんは酒づくりの先駆者として村の松尾神社(酒の神)境内に石碑が立ってあり、いつも見るたびに偉いもんだなあと思っていました。小学校の頃、少しは酒づくりに関心があったような気もしますが、叔父から酒づくりをやって見ないかとのすすめられた一言がきっかけとなったようです。

Q:どのようなきっかけで浦霞へいらっしゃたのでしょうか?


A:私が酒屋に入る前は、生家で農業の手伝いをやっておりました。この頃杜氏をやっていた叔父から酒づくりをやってみないかとのすすめがあり、この道に入った訳です。以来叔父のもとでの酒づくりでしたので、昭和24年11月に叔父が浦霞醸造元で酒づくりやる事になり、私も一緒に入社した訳です。

Q:平野佐五郎杜氏についてお聞かせください。






A:酒づくりには大変熱心な人でした。 私から言うのは、ちょっといいすぎですが(杜氏と私は叔父〜甥の間柄でしたが、正直いって社内では叔父〜甥の感じはまったくありませんでした。)、叔父は酒づくりについては妥協はまずなく、酒づくりにかんした新しい取入はすごく慎重でした。

いざ目標がきまると、他人の意見は聞かず自分の意志をとおす人でした。でも、同じ仲間から言わせると、平野流酒づくりは理屈に合っているとのこと。こんな流れをくんでか私は慎重なほうに入ると思っております。

Q:どのようなことに気をつけて酒造りをしていますか?

A:私しは酒づくりは健康第一と思っております。身体の調子が悪いと良い仕事ができません。次に酒づくりに合うような場内の環境のきくばりです。あとは最後まで根気よく努力することです。

Q:若い人たちに期待することは?





A:酒づくり万流と昔からいわれてきましたが、色々とその流儀はあると思います。国酒である清酒づくりは本当に 奥の深いものと思います。昔はよく失敗することもあったようですが、現在では技術と科学が平行して、その酒づくりの経過を管理できるようになりました。が、ともすると作業が事務的になってしまうのではと思う時があります。まず、その年の原料米の入庫を出発点として、気がとおくなるような各工程ごとの見極めがもっとも大切だと思います。昔からの酒づくりの基本を充分に取り入れたきめこまかな酒づくりを期待します。