浦 霞 の 昭 和
〜平野重一とともに歩んだ浦霞〜
| 平野佐五郎編 浦霞へ来るまで | ||||||
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平野佐五郎は明治34年3月9日に重一と同じ岩手県和賀郡更木村(現 岩手県北上市
佐五郎は酒造りに関しては一本気。そして何より気むずかしい人だった。しかし酒造りは |
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浦霞では、昭和初期から畠山長蔵が杜氏として酒造りをしていた。 昭和21年より熊谷杜氏が浦霞の酒造りを担当。しかし、当時の浦霞の社長 佐浦菊次郎が思 名人気質で生真面目でしかも酒一筋に生きてきた佐五郎は石巻の蔵元の当主と意見が合わ
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佐浦家の次男として生まれた菊次郎は横浜で貿易業に従事していた。 当時佐五郎は48才。浦霞へ来るまでは平野三蔵以外特定の師を持たず先輩杜氏の技を盗み、人知れず研究に勤し
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| 仕事に対しての厳しさは比類なく、そして自分がそうしてきたように弟子達に教えるということはせず、自分で研究するこ とを求め、仕事の内容について質問を投げかけるだけで判断は各自にまかせた。しかし、その判断が自分の酒造りに 反した時には厳しくしかりつけたという。 重一は佐五郎のことを「まず、怖い人というのが誰もが受ける第一印象でしょうね。次に何事も徹底的にやる人。そして 綺麗好き。」と語る。 佐五郎が来て浦霞がどのように変わってきたのだろうか?次は佐五郎が浦霞にきてまず最初にやったこと。そして浦霞 |
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