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1.はじめに
はじめに
Vol.1

伊達吉村公 肖像画
(仙台市博物館所蔵)
浦霞の創業は1724年(享保9年)。時は徳川幕府8代将軍徳川吉宗の時代。仙台藩では中興の名君と讃えられた5代藩主伊達吉村が藩主の時代でした。吉村は逼迫していた仙台藩の財政を立て直した人で、4代藩主綱村が着手した鹽竈神社の改修工事を完成した人です。

伊達綱村公 肖像画
(仙台市博物館所蔵)
鹽竈神社の造営に着手した綱村は、伊達騒動(※)に巻き込まれ、不遇な少年時代を過ごしたためか、きわめて信仰心の篤い人でした。そして「神様の町に活況を」と塩竈の様々な保護に努めた人でした。塩竈は伊達氏の保護の下、発展してきた町です。
※伊達騒動(寛文事件)
仙台藩3代藩主・伊達綱宗は「不行跡」を理由に万治3年(1660年)、逼塞の幕命を受けてしまう。 21歳の若さだった。(綱宗隠居事件)
逼塞(ひっそく)
江戸時代の刑の一つ。門をしめて、昼間の外出を禁じたもの。いわゆる軟禁状態である。
通常は50日間であるが、綱宗の場合、それが生涯にわたった。
事実上の隠居である。
家督は綱宗の2歳の長男・綱村(亀千代丸)が継ぎ、4代藩主となる。
綱村が藩主になると、大叔父・伊達兵部少輔宗勝(伊達政宗十男 一関藩主)が後見として、家老の原田甲斐宗輔らと共に藩政の実権を握る。
兵部側近の専横、奉行衆間の対立は藩政の不安をつのらせ、兵部の側近政治は日を追って強大な威権をふるうようになっていく。
もはや対抗できるものは一般家中には無かった。やがて、「頑固一徹の老臣」涌谷伊達家四代藩主・伊達安芸宗重が、所領争いを機にその専横非道ぶりを幕府に訴え出る。
寛文10年(1670年)暮れ、幕府から召喚状が届く。裁判は宗重有利のうちに進む。
寛文11年(1671年)3月27日、大老・酒井雅楽頭忠清での審問の際、甲斐はその場で宗重に斬りかかり、殺害する。甲斐も安芸派の柴田外記朝意や酒井家中らと斬りあいになり、その場で斬り殺される。
結果、宗勝は土佐藩にお預けとなり、原田家は断絶したが伊達家は守られる事となった。
これが伊達騒動の顛末である。
この事件は山本周五郎の小説『樅ノ木は残った』の題材となり、NHK大河ドラマにもなった。
鹽竈神社 楼門
鹽竈神社は奥州一之宮と称され、奥州藤原氏や仙台藩主伊達氏からの崇敬が篤かった神社です。
鹽竈神社の御神酒を納めるようにとの御下命を伊達氏から受けたのが浦霞の酒造りの始まりです。
以来、鹽竈神社の御神酒酒屋として酒を造ってきました。
浦霞の歴史を紐解く前に、浦霞の名声を高めた名杜氏平野重一についてお話しましょう。
※伊達吉村公肖像画、伊達綱村公肖像画は仙台市博物館が所有しております。
展示期間等、詳細につきましては仙台市博物館までお問い合わせ下さい。
仙台市博物館
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