HOME > 酒造りのこだわり > 浦霞について > 歴史と伝統

歴史と伝統

2

「品格のある酒」を体現
革新の連続で半世紀を迎えた浦霞禅

“Classic and Elegant”を掲げ、「品格のある酒」を目指す浦霞。その酒質は、一言で言えば味と香りの調和の取れた食中酒。香り高く淡麗でありながらも米の旨味がほど良く感じられる、飲み飽きのしない酒質を目指しています。その一つの完成形ともいえるのが、「純米吟醸 浦霞禅」です。

「浦霞禅」が発売されたのは1973(昭和48)年。当時、吟醸タイプの酒は市場にはほとんど存在せず、浦霞でも鑑評会向けに造った吟醸酒は一般の酒に混ぜて販売していました。12代目蔵元佐浦茂雄は、浦霞が得意とする吟醸造りの酒を一般向けに出せないものかと思案します。

そんな時、松島・瑞巌寺で修業し、後に京都・妙心寺におられた秋田徳重老師がフランス・パリへ禅の布教に行くという話を聞きます。パリでは禅画がカフェの壁に貼られているらしいということから、「浦霞禅」と名付けた吟醸酒をパリに売り込むというアイデアを思い付きました。

米は広島の八反を高精白し、低温発酵させた吟醸タイプの酒で、吟香はほど良く、味はすっきりと淡麗な酒を造りたいと、茂雄は平野重一に依頼。発酵温度を抑えてもろみ期間を延ばすことで、酵母は良い香りを生み出しますが、それには難しい発酵管理が求められます。それでも重一は見事、茂雄の期待に応えてみせました。



当時は手続きが煩雑だったため輸出を諦め、それを国内向けに発売することになります。やはり市場の求める酒とは異なり当初は伸び悩みましたが、冷やして飲むことを前提に720ミリリットル瓶で販売したことも功を奏して贈り物にも利用され、それを飲んだ人が吟醸造りの上品な味わいを周囲に喧伝し、人づてに「浦霞禅」の名が広まっていきます。

時代の追い風もありました。大量生産される有名銘柄酒から地方の個性的な酒に消費者の目が向き始め、いわゆる地酒ブームが到来。高度成長期のピークを迎え、高品質指向が消費者に芽生え始めた時期でもありました。

消費者の嗜好に合わせて変化し続けてきたことも、ロングセラー商品になり得た要因です。市場で純米酒が伸び始めており、最高品質をうたうのであれば醸造アルコールを添加しない商品にしたいという営業的な戦略もあり、発売して数年で「浦霞禅」も純米吟醸酒となります。

吟醸タイプから純米吟醸へ。文字にするのは簡単ですが、実現するのは至難の業。重一は当時を振り返ってこう語っています。「消費者はアルコールが入っているのに慣れているので、それを崩さないような浦霞禅を出さないといけない。それは並大抵のことではなく、ああでもない、こうでもないと、いろいろやりました。この時が一番、苦労したね」


12代目蔵元 佐浦茂雄(左)と名誉杜氏 平野重一(右)


原料米にも変遷があります。酒米の王様、山田錦が地方では手に入りにくかったことから、浦霞ではそれに代わる酒米としてトヨニシキを吟醸酒に使い始めていました。その経験を生かしてトヨニシキを「浦霞禅」に採用。全国新酒鑑評会でも金賞を受賞し、トヨニシキは一役脚光を浴び、県内外の蔵元で使われるようになります。やがて山田錦も手に入るようになり、現在は麹米と酒母に山田錦を使用しています。

販売戦略においても、流通段階における品質保持に可能な範囲で取り組み、需要に対して供給が追い付かない時期も拡大を急がず、徐々に生産体制を拡充。商品の価値観を保つことを意識しながら少しずつ拡大を進めていきました。

近年は、加熱処理にパストライザー方式を採用。瓶詰め・打栓した酒を温水シャワーで加熱殺菌し、風味を閉じ込める方式で、詰めたままの酒質を保ちやすいというメリットがあります。また、瓶貯蔵での低温管理を行い、フレッシュ感も残るバランスの良い香味を実現しています。

かくして2023年に50周年を迎え、誕生のきっかけとなったフランスへの輸出もその後叶い、現在は海外にも広く輸出しています。時代の最先端を走り続けてきた「浦霞禅」は、私たちにとっての大切な宝。杜氏たちの探究心でこれからも磨かれ続け、輝きを増していきます。